 浅田 次郎 発売日:2004/10/15 価格  ファンの怨み買うこと覚悟で、あえて苦言(ネタバレ少々) 浅田次郎は、エッセイ数冊と「地下鉄に乗って」を読んだことがあるだけだった。エッセイは楽しめたけど、「地下鉄〜」はコレデモカ、コレデモカと涙腺を刺激してくるあざとさが苦手で、それ以降手が出なかった。でも、唯一気になっていたのが、傑作の評判高かったこの作品。文庫化を機に、思い切って読んでみた。ナルホド面白い。一気に読み終えた。他の人にも薦めよう。 でも、どこを見ても賞賛・賞賛なので、「・・・ちょっと待って。瑕がないわけじゃないゾ」と思い、嫌われること覚悟で文句をつけてみたい。思いつくまま。 物語の前半と後半が、やはりうまくつながっていない。前半は梁文秀と春児の出世物語を追う構成だが、そこで組み立てられた2人のキャラクターが後半で生かされているとは思えない。ヤクザな梁文秀が状元で進士になるまでの話は一種のピカレスク・ロマンの味わいだが、後半の彼はピカロどころか憂国のマジメ人間。というより、強烈なキャラたちに埋もれて、存在感薄れまくり。春児にしても、役者として西太后に取り入るまでは、これもピカロの成り上がり物語なんだが、宮中に入り込んでからはイエス様になっちゃう。何がどうしたんだ! 舞台回しの女占い師・白太太。面白いキャラだとは思うけど、登場の仕方がかなりご都合主義。要のところでどこからとなく現れて、重要な予言をし、物語の行方を方向付ける。特に梁文秀の命乞いをするところ、そしてその命乞いがアレヨアレヨと成就する展開は、アレアレ?っという感じ。それに白太太は嘘の予言をしない設定になっていて、それは予言を口にしている間は我を失っているからという理由付けもされるのだが、だったら春児のときだけ、どうして嘘がつけたんだろう。 西太后のキャラも、私としてはあまり説得力を感じなかった。プライヴェートな会話はあまりに蓮っ葉で、そこらのネエチャン。しかもろくでなしの昔の恋人の甘言さえ見抜けない女が、清朝の滅亡の苦悩を一人背負っているというのは、ウッソーの世界。王朝の滅亡を成就するために敢えてする悪行の数々って、そんなの必要ないんじゃない? ま、言い出すとキリがないのでこの辺にします。怒らないでください。付け足しみたいですが、李鴻章の人物造詣は魅力的でした。
極貧の少年に与えられた途方もない予言 そこに「希望」が生まれた
魂をうつベストセラー大作待望の文庫化!
汝は必ずや、あまねく天下の財宝を手中に収むるであろう中国清朝末期、貧しき糞拾いの少年・春児(チュンル)は、占い師の予言を信じ、科挙の試験を受ける幼なじみの兄貴分・文秀(ウェンシウ)に従って都へ上った。都で袂を分かち、それぞれの志を胸に歩み始めた2人を待ち受ける宿命の覇道。万人の魂をうつベストセラー大作!
もう引き返すことはできない。春児は荷台に仰向いたまま唇を噛んだ。満月に照らし上げられた夜空は明るく、星は少なかった。「昴はどこにあるの」誰に尋ねるともなく、春児は口ずさんだ。声はシャボンのような形になって浮き上がり、夜空に吸いこまれて行った。途方に昏(く)れ、荒野にただひとり寝転んでいるような気分だった。「あまた星々を統べる、昴の星か……さて、どこにあるものやら」老人は放心した春児を宥(なだ)めるように、静かに胡弓を弾き、細い、消え入りそうな声で唄った。<本文より> |