序盤は退屈退屈...だけど途中でやめなくて良かった。 周公旦のイメージというと、藤崎竜の『封神演義』そのまま(苦笑)で、武王が殷を討滅した後の周の歴史はあまり興味が無く、周公も「カリスマ性の無い蕭何」くらいのイメージしか持ち合わせていませんでした。ボクのあまり好きでない孔子が礼賛しているというのもあまり良いイメージでない理由のひとつかもしれない。 実際読んで見ると...序盤は退屈退屈。ただ、これは今振り返ると、武王が卒するまでの周公自身があまり目立つ存在でなかった事もある為で、酒見氏自身のせいでは無いと思う。本の冒頭で「周公に興味を持った理由」として、晩年に周公が成王(実の甥)に疎まれて国外逃亡する際に、国交が無いどころか「くに」としての形を成していない不気味な存在だった楚に逃げた点に興味を持ったとしているけど、序盤からその一点に結びつくように話題が選択されているのは、読み終わった後で分かった。途中でやめなくて良かった。 史記・世家編 魯周公世家第三には、さらっと「周公は楚に出奔した。」としか書かれておらず、孔子の「論語」にも楚への逃亡の事は触れられていない(そもそも周公の話題が4箇所しかないらしい)にも関わらず、ささいな疑問から人物に興味を持ち、想像を働かせて、違和感の無い人物像を作り上げてしまうという、そういう作業の出来るヒトが「作家」と呼べるのだろうな、と。 作中の周公は、実際近くにいたら嫌なヒトだろうなと思える人物なんだけど、生真面目に「礼」を中心として自分を成り立たせている所は、見習うべきかもしれない、と思いました。いや、いろいろと考えさせられました。