小説などで学ぶ、

日本史・世界史
面白いだけではない、
読めば身になる歴史関係の小説・マンガ等紹介!
歴史の勉強は、暗記ではつまらない。
教科書に載っている、歴史は薄っぺらだ。
学校の歴史の授業は、眠くなる。
歴史はテスト前の一夜漬けで済ませてしまい、
全然頭に残っていない。
などなど、そう思っている人に
読めば頭に入って忘れなくなる歴史関係書物を紹介しています。
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日本歴史 江戸時代 徳川家康
津本 陽
発売日:1999/12
価格
徳川家康から見た関が原の戦い
 「戦いは、戦う前に勝負が決まる」これは、孫子の言葉ですが、徳川家康の戦略が正にそれに当たるという感じを受けました。まず、己の力を正確に分析する。次に、敵の力を正確に把握する。そして、敵の勢力を減らす方法を考える。勢力が均衡するところまでいって、戦法を考える。この過程は、あらゆる分野で応用出来るものでしょう。戦いは、その証明にすぎない。そのことを気づかせてくれる上巻です。

『下天は夢か』『夢のまた夢』に続く「夢」三部作の掉尾。
ついに日本六十余州を掌中にした天才治世家、徳川家康の生涯に迫る──
慶長三年八月、豊臣秀吉薨去の時、朝鮮に残留する日本軍は六万五千人。
家康は秀吉の死を伏せたまま、全軍撤退させようと手だてを講じるのだった。
無事帰朝した大名たちの間に起こる対立を利用して、次第に勢力をのばす家康。
戦機を待つ野戦の名将は、ついに五十九年の生涯を賭けた大博打に出る。
津本版徳川家康の壮大なる幕開け。
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津本 陽
発売日:1999/12
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戦いは大将で決まる
 関が原で負けた後、大阪方の大将、毛利輝元が”篭城”を決断したらどうなっていたのだろう。おそらく、戦国時代は更に長く続いたのだろう。関が原で敗れたとはいえ、大阪城に集まった”立花宗茂・島津義弘”んどは、当時一流の武将達であり、戦い疲れた徳川軍と互角以上の戦いが出来た。しかし、毛利輝元はそれをしなかった。徳川家康の”裏取引”の結果だった。惜しい。時代には意志がある。そう感じる瞬間です。大阪方に、徳川家康並の大将がいれば、日本史は大きく変わっている。大志を持つ人は、大いなる気づきがあるでしょう。

わずか半日で決着をみた関ヶ原の戦い。
大坂城に入った家康は、今や恐れる者のない覇者となっていた。
慶長八年、征夷大将軍に補する旨の詔勅が伏見城にもたらされ、
名実ともに武家の棟梁の座に就いた家康は、まず江戸市街の大築造工事に着手する。
二年後、家康は将軍の座を秀忠に継職し、念願の豊臣家打倒を画策するのだった。
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津本 陽
発売日:1999/12
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器の違いを痛感する
 大阪の淀殿と徳川家康の器の違いを痛感します。どんなに、優秀な社員がいても、社長がボンクラでは話しに成らないことも強く感じます。真田幸村・後藤又兵衛を擁していながら、彼らの意見を取り上げない。戦場でも、場内でも、自分の意見を優先する。読んでいて、淀殿と大野の言動と行動には腹立たしくなります。● 志は育てるものなのだ徳川家康は、天下人になろうと最初は思っていなかった。彼は、一歩先・一歩上を見続け、確実に登ってきたんだ。彼の”志”は、織田信長や豊臣秀吉とは明らかに違う。織田信長や豊臣秀吉の”志”は、かなり早い時期に”天下統一”にあった。徳川家康は違う。”志”を育て続けてきた結果が”天下統一”に繋がった。人間には、多くの生き方がある。改めて、それを感じました。

関ヶ原以来、十五年を隠忍自重した家康が、
七十三歳にして宿願の豊臣家打倒に立ち上がる。
堅固な大坂城に長期戦は不利とみた家康は、総濠埋立てを条件に一旦和睦する。
その後、再び秀頼を挑発、再戦の端緒を掴むのだった―。
戦国乱世を負けながらも生き抜いた稀有な男の
不屈の精神を余すところなく描いた大長篇。
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