善人としての徳川家康伝徳川家康を題材にとった司馬独特の史伝風小説で、小説としての筋を追う面白さももちろんあるが、日本史からみた徳川家康という人物への評価がそこここに現れていて興味深い。覇王の家、とは徳川家のこと。もし秀吉や信長が覇者であったなら、この頃から世界史に日本が登場していただろう。しかし家康の頭の中は徳川の家を守ること以外には何もなかった。その家康が天下をとった。そのために江戸期270年に渡って日本は世界史から取り残され、停滞した。徳川家一軒を守るためにだけ存在した江戸期とはなんだったのか。司馬はそういう観点から家康をみている。昭和45年(1970)から46年にかけて小説新潮に連載された司馬46歳の頃の作品である。この作品と並行して週刊新潮に「城塞」を連載していた。本作で三河の律義者、善人としての家康を描き、「城塞」では秀頼を謀殺した悪人としての家康を描いた。家康のウラ・オモテ、光と影、という対で読むと面白いと思う。
徳川三百年―戦国時代の騒乱を平らげ、長期政権(覇王の家)の礎を隷属忍従と徹底した模倣のうちに築き上げた徳川家康。三河松平家の後継ぎとして生まれながら、隣国今川家の人質となって幼少時を送り、当主になってからは甲斐、相模の脅威に晒されつつ、卓抜した政治力で地歩を固めて行く。おりしも同盟関係にあった信長は、本能寺の変で急逝。秀吉が天下を取ろうとしていた…。