小説などで学ぶ、

日本史・世界史
面白いだけではない、
読めば身になる歴史関係の小説・マンガ等紹介!
歴史の勉強は、暗記ではつまらない。
教科書に載っている、歴史は薄っぺらだ。
学校の歴史の授業は、眠くなる。
歴史はテスト前の一夜漬けで済ませてしまい、
全然頭に残っていない。
などなど、そう思っている人に
読めば頭に入って忘れなくなる歴史関係書物を紹介しています。
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日本歴史 江戸時代 高杉晋作
司馬 遼太郎
発売日:2003/03
価格
入門編
吉田松陰と高杉晋作の一生を通じて、幕末の雄長州藩を描いている作品。史実については、最近の新研究と齟齬を生じる部分もあるが、両者の人生を大まかに捉えるには充分だと思う。楽しんで読んで、興味を持ったら他にも色々読んでみると、幕末への理解が深まり、ひいてはいまの日本に対する視点も変わってくるだろう。勤皇派については、これと「竜馬がゆく」を合わせて読むのがオススメ。高杉晋作楽しむなら、「十一番目の志士」「花神」をどうぞ。

嘉永六(1853)年、ペリーの率いる黒船が浦賀沖に姿を現して以来、
攘夷か開国か、勤王か佐幕か、をめぐって、
国内には、激しい政治闘争の嵐が吹き荒れる。
この時期骨肉の抗争をへて、倒幕への主動力となった長州藩には、
その思想的原点に立つ吉田松陰と後継者たる高杉晋作があった。
変革期の青春の群像を描く歴史小説全四冊。
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司馬 遼太郎
発売日:2003/03
価格
航海遠略策
 吉田松陰と高杉晋作の邂逅。 松陰が死罪となる。 高杉晋作が「倒幕」を志す。といったことが描かれています。 中で語られている長井雅楽の航海遠略策を読み、「この時代でもここまで見通せる人物がいたのだ」と驚きました。 この策の正当性が時代に受け入れられなかったのがとても悔しいです。

海外渡航を試みるという、大禁を犯した吉田松陰は郷里の萩郊外、
松本村に蟄居させられる。
そして安政ノ大獄で、死罪に処せられるまでの、わずか三年たらずの間、
粗末な小屋の塾で、高杉晋作らを相手に、松陰が細々とまき続けた小さな種は、
やがて狂気じみた、すさまじいまでの勤王攘夷運動に成長し、時勢を沸騰させてゆく。
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司馬 遼太郎
発売日:2003/04
価格
藩ぐるみ身をひるがえして開国へ転ぜねばならぬ
御殿山の英国公使館を焼き討ちなど、江戸幕府のつきあげを次々としたあと、出家して、故郷に戻った高杉晋作。彼が閉じこもっている間に長州藩が大変動していきます。長州藩は幕府からの「5月10日から攘夷をする」という回答をそのまま実行にうつし、馬関海峡で攘夷戦争をはじめ、蛤御門の変、四カ国連合艦隊襲来そして、敗戦。江戸幕府とは別に長州藩だけが歴史の大転換を迎えていきます。特に印象深い場面は長州藩と四カ国連合との交渉の場面でした舞台は壇ノ浦長州藩は単独で四カ国との談判をするために高杉晋作を交渉が交渉にあたります。その通訳をするのは伊藤俊輔たちあいに英国公使館通訳官アーネスト・サトーそうそうたる登場人物たちが、日本の将来を変える交渉を始め読み応えがあります。

狂躁の季節がきた。
長州藩は既に過激派の高杉晋作をすら乗りこえ藩ぐるみで暴走をかさねてゆく。
元冶元(1864)年七月に、京へ武力乱入し壊滅、
八月には英仏米蘭の四カ国艦隊と戦い惨敗…そして反動がくる。
幕府は長州征伐を決意し、その重圧で藩には佐幕政権が成立する。
が、高杉は屈せず、密かに反撃の機会を窺っていた。
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司馬 遼太郎
発売日:2003/04
価格
「長州を世界列強の仲間に入れる」
 長州藩内の革命(勤皇派の勝利)を導いて後、今度は、幕府対長州の戦いに突入していきます。 元々攘夷の意思はもっていない高杉は、長州藩のなかで攘夷思想が沈静化するまでヨーロッパに逃亡しようと企てますが、失敗し国内を潜伏して歩きます。 そして、こっそりと馬関にもどっていたところを、長州藩に請われて対幕戦の要職に。 活躍を見せますが、途中で不治の病を患い、たった28歳でこの世を去っていきます。諸隊を使った、藩内の革命。英国との会盟のために長州代表として臨み外交の布石をうつ 海軍総督として対幕戦の海上での奇襲といったことを次々と駆け足のようにやり遂げていく晋作の様が、著者の簡潔な文章で描かれていて小気味良く読ませます。

動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し…。
わずか八十人で兵を挙げた高杉晋作のクーデターは、きわどく成功する。
幕府は、慶応二(1866)年、この長州藩を圧し潰そうと、天下の兵を糾合し、
藩の四境から進攻するが、時運はすでに移り変っていた。
維新の曙光を認めながら、しかし高杉はもはや死の床にあった。
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